申成日(広島教会牧師)
メッセージ:与えてくださる神の愛
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。いよいよ今月最後の番組になりました。
今日は、「与えてくださる神の愛」について考えたいと思います。
リスナーの皆さん、「マナ」という言葉を聞いたことがありますか。これは旧約聖書に出てくる食べ物の名前ですが、「これは何?」という意味のヘブライ語から来ています。聖書によると、ウェハースのような味がする、白い綿菓子のようなものらしいです(出エジプト16:31参照)。
この食べ物が出てくる旧約聖書の物語を見ると、当時神様は、神の民としてお選びになった人々がエジプトで苦しい奴隷生活をしていることを見て、「モーセ」と言う人を通して、彼らを導き出しました。しかし、人々は荒れ野で旅をしなければならず、すぐ食べ物が必要になりました。人々は、あまりにも空腹の苦しみで、「どうして自分たちをここまで連れ出したのか」と、モーセに不平を言い出し、エジプトの奴隷生活の時を恋しく思うまでになったのです(出エジプト16:3参照)。
神様は、そのような不平不満を言う人々のために、食べ物を与えてくださいました。その一つが、天から降って来た「マナ」だったのです。神様は、御自分の民を愛しておられましたので、たとえ彼らが不平不満を言ったとしても、彼らを生かすために、食べ物や飲み水を与えてくださいました。
新約聖書で、イエスがその弟子たちに教えておられた一つの言葉があります。「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。」(マタイ6:30-32)
考えてみれば、普通の子供たちは、「今日何を食べるか、明日は何を食べるか」を心配しません。なぜならば、それは、父、母、あるいは自分を世話してくださる信頼できる家族、大人がいるからです。今晩も、明日も、わたしを愛し、わたしを大切にしてくださる人がいるから、安心して過ごすことが出来ます。その人に信頼を寄せれば、確実に自分に与えられるのです。
神様は、わたしたちを愛しておられる方です。神様は、わたしたちが何を必要としているのか、すべてご存じの方であり、わたしに与えて良いものと、与えてはいけないものを良く御存じの方です。だから、そのような方により頼んで生きることが、とても大切です。
特に神様の愛は、わたしたちが罪の世界で溺れて滅びることのないように、わたしたちのために、神の子イエス・キリストを与えてくださいました。イエス・キリストが、わたしの罪を赦してくださるために、十字架にかかって死んでくださったことを心から受け入れ、自分の弱さを認め、神の助けを求める人々には、神の子となるような祝福を与えてくださいました。
その神様が、愛する子イエス・キリストを与えてくださるほど、わたしたちを愛しておられることを信じ、その方により頼んで生きるならば、わたしたちは、何の心配もありません。なぜならば、その方は、全能の神だからです。このような神の愛をいただいて、いきいきと生きる生活となりますように、心からお祈りいたします。