エレミヤ書 51章
剣を逃れた者らよ。
行け、立ち止まるな。
遠くから主を思い起こし
エルサレムを心に留めよ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 51章50節
心から立ち帰り主を求める
宮﨑 契一(那覇伝道所)
サムエル下3章 人は死んでも神の言葉は生きている
カテゴリ: リジョイス聖書日課
他人を見下げる者の落とし穴
カテゴリ: あさのことば
自分は頼りにできない
カテゴリ: あさのことば
すべての部分が共に喜ぶ
カテゴリ: キリストへの時間
勘違いされた聖書の言葉
カテゴリ: あさのことば
「憎しみを克服するために」
カテゴリ: あさのことば
サムエル下2章 剣を取る者は剣によって滅びる
カテゴリ: リジョイス聖書日課
「言葉は心の中から」マタイによる福音書 12章33...
カテゴリ: 聖書を開こう
終わりは新しい始まり~信仰・希望・愛に生きよう~
カテゴリ: ほほえみトーク
ヨシュア5章 神にのみ従う、勝利は我が手に
カテゴリ: リジョイス聖書日課
旧約聖書の時代に力を振るったバビロン帝国への主の裁きが、預言者エレミヤによって語られています。
そのために主はバビロンに対して諸王国を集め、それらを前にバビロンの勇士たちはもはや戦う力を失います(30節)。さらに、都が隅々まで占領されたとの知らせもバビロンの王にもたらされることになります(31節)。とても現実的に、預言者は、バビロンの終わりを預言するのです。
そこでこのとき、バビロンに捕囚となっていたイスラエルの民も、バビロンから逃れるようにと語られています(45節)。彼らが主の激しい怒りと裁きを逃れるためです。主なる神のご計画の中では、イスラエルがあるべきところは主の裁きのあるバビロンではありません。むしろ「遠くから主を思い起こし、エルサレムを心に留めよ」(50節)とあるように、主なる神を思い起こして、民が再びエルサレムに戻ることでした。
私たちにも、本来罪人が受けるべき主の怒りと裁きがあります。しかし、それぞれが置かれた状況の中で主なる神を思い起こし、この方を求めて生きるところに私たちの信仰があるのです。私たちには、たとえ罪に陥ることがあっても、立ち帰って、心から主に帰ることが許されています。
【祈り】
ただあなたのみに、私たちが心から立ち帰ることができますように。