12月30日(月)エレミヤ書 51章
剣を逃れた者らよ。
行け、立ち止まるな。
遠くから主を思い起こし
エルサレムを心に留めよ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 51章50節
心から立ち帰り主を求める
宮﨑 契一(那覇伝道所)
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旧約聖書の時代に力を振るったバビロン帝国への主の裁きが、預言者エレミヤによって語られています。
そのために主はバビロンに対して諸王国を集め、それらを前にバビロンの勇士たちはもはや戦う力を失います(30節)。さらに、都が隅々まで占領されたとの知らせもバビロンの王にもたらされることになります(31節)。とても現実的に、預言者は、バビロンの終わりを預言するのです。
そこでこのとき、バビロンに捕囚となっていたイスラエルの民も、バビロンから逃れるようにと語られています(45節)。彼らが主の激しい怒りと裁きを逃れるためです。主なる神のご計画の中では、イスラエルがあるべきところは主の裁きのあるバビロンではありません。むしろ「遠くから主を思い起こし、エルサレムを心に留めよ」(50節)とあるように、主なる神を思い起こして、民が再びエルサレムに戻ることでした。
私たちにも、本来罪人が受けるべき主の怒りと裁きがあります。しかし、それぞれが置かれた状況の中で主なる神を思い起こし、この方を求めて生きるところに私たちの信仰があるのです。私たちには、たとえ罪に陥ることがあっても、立ち帰って、心から主に帰ることが許されています。
【祈り】
ただあなたのみに、私たちが心から立ち帰ることができますように。