
風間義信(仙台教会牧師)
メッセージ:十字架にあらわれた希望
おはようございます。今月この番組を担当しました、仙台教会の風間義信です。
日本では、宗教の話をしたり、何かの信仰を持っているとなりますと、煙がれるような感じがあります。その中でも特に、キリスト教はそうではないでしょうか。本当に神がいるならば見せて欲しい、よく言われることです。
確かに、まことの神は、今、ここで、私たちの目で見ることはできません。けれども、いないから見えないわけではありません。実は、この方がはっきりと分かる姿であらわれてくださいました。それが、人となられた神、イエス・キリストです。
キリストの地上での生涯は、30数年ほど、活躍されたのは2~3年だったかもしれません。その間、語られた言葉や行動によって、神がいかなる方であるかが示されました。ところが、そのキリストは、最後に十字架につけられてしまいました。そこで苦しみの叫び声をあげています。
けれども、その叫びと苦しみは、私たちのものでした。本来なら、神の下を離れ、受けなければならなかった苦しみを、私たちの身代わりとなって、逃げずに耐え忍ばれました。ですから、本来なら最も恥ずかしい十字架を、教会は堂々と掲げ、この十字架のキリストに神を見ています。
それは決して恥ずかしいことではなく、ここにこそ、私たちを支え、苦しみから解放してくださる方がおられることを見ています。なぜなら、この方こそ、私のことをすべて理解し、慰め、重荷を担ってくださっているからです。
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