12月15日(月) サムエル上24章
「自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか。今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』サムエル記上24章20節
サウルは、執拗にダビデの命を狙っています。そうしたなか、エン・ゲディの要害に留まっていたダビデのところにサウルが近寄ってきます。ダビデにとって、自らの命を狙う者から逃れるために、サウルを討ち取り、危険を取り去ることができる決定的な時がきました。ダビデの兵もサウルを討つことを進言します。
しかし、ダビデはサウルを討とうとせず、上着の端をひそかに切り取るに留めます(5節)。そして、こう語ります。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ」と(7節)。
主イエスも、「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とお語りになります(マタ5章44節)。
私たちはどうしても、自らの危険が取り除かれるなら他者がどのようになろうとも我関せずと思ってしまいます。しかし、主なる神は、神のかたちに造られた一人ひとりを愛しておられます。そして神の愛に生きることを求めておられます。だからこそ私たちは、自らに危害を加えようとしている相手であっても、その人を愛し、主の恵みに満たされ、主の導きを祈ることが求められています。
【祈り】
敵対する人であっても、憎むことなく、罪をゆるし、愛することができるようにしてください。









