キリストへの時間

主イエスにある新しい命

放送日
2025年10月19日(日)
お話し
久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ:主イエスにある新しい命

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会牧師の久保浩文です。

 日本は、世界的にみても平均寿命が長い国の一つだそうです。しかし、それでも人は、最後には死を迎えなければなりません。愛する者の死、肉親とのこの地上での別れは、とても悲しく、辛いものです。

 私が奉仕をしています松山教会では、今年に入って、わずか二か月の間に、三人の姉妹を天にお送りしました。その内の一人の姉妹は、約半年ほど前に、長年連れ添って来た御主人を亡くされたばかりでした。仲睦ましいご夫妻が、毎週の礼拝に連れだって出席される姿は、私だけでなく、他の教会員にも良き証しとなり、大きな励ましとなっていました。

 「死」は、愛する者と私達を引き離し、乗り越えることの出来ない大きな壁となって立ち塞がります。長年の間、同じ屋根の下で共に生活をして、喜びも悲しみも共に分かち合ってきた者との別れは、残された者にとって、今後の人生について、ある種の無気力と虚脱感を引き起こします。私達は、死という悲しい現実を受け入れる他ありません。死は、神から離れた罪の報酬として、人類にもたらされました。私達人間にとって、死は、恐怖をもたらす最大の敵です。

 ある時、主イエス・キリストは、愛する友ラザロが危篤であるとの知らせを受けて、ベタニア村に駆けつけました。しかし、主イエスが到着した時には、すでにラザロは死んでおり、墓に葬られて四日も経っていました。残されたマルタとマリアの姉妹は、悲嘆に暮れており、多くの村人たちが彼女らを慰めようとして弔問に来ていました。けれども、死という厳しい現実を前にして、人間は、どうすることも出来ません。ただ、悲しみの中にある遺族を慰めることしか出来ないのです。

 しかし、主イエスは、マルタに「あなたの兄弟は復活する」(ヨハネ11:23)と言われました。マルタは、主イエスに「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(ヨハネ11:24)と答えています。彼女にとって、復活とは、「終わりの日」、すなわち世の終わりの時に、神を信じていた者は復活させられるであろうという、遠い将来に実現することでした。

 しかし、主イエス・キリストは、マルタに「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)と問われました。主イエスは、マルタがはるか遠い将来に起こると信じていた復活が、すでに目前に迫っていることを明らかにされました。今、対話をしている主イエス御自身こそ、復活の源であられ、命そのものなのです。

 神から離れて死ぬべきものとなった人間は、生まれたその時から、日一日と確実に死に向かって、いつも死を担って、死を恐れながら生きています。この人間に新しい命を与えるために、主イエスは、この地上に来られたのです。

 主イエスが持っておられる命は、永遠です。主イエス・キリストは、御自分が私達人間に代わって十字架にかかって死んで下さっただけでなく、三日目に死人の中から復活されました。主イエスは、死の力に打ち勝たれて、死を滅ぼされたのです。

 そこで、主イエス・キリストを信じる者にとっては、死はもはや支配しません。主イエス・キリストを、復活であり、命であると信じる者は、たとい肉体の死を経験しなければならないとしても、なお生きることができ、決して滅びることはありません。イエス・キリストを信じる者にとって、肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠の命の始まりなのです。

 主イエスのマルタへの問いかけは、私達への問いかけでもあります。死が死で終わらないために、死に勝利する道を、主イエス・キリストは、私達に備えて下さったのです。

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