久保浩文(松山教会牧師)
メッセージ:神に委ねて生きる幸い
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。愛媛県松山市にある松山教会牧師の久保浩文です。
人生には、いろいろな悩みがあります。進学、就職、結婚など、人生の節目でも、日々の生活の中でも、様々なことに心を遣い、悩みます。私達人間は、生きている限り、多くのことについて心悩まされ、色々なことに思い煩うのです。
その中でも、自分自身の健康と生命、老後のことについては、一番関心があるのではないでしょうか。現代は、一昔前と比べて、医学の進歩は目覚ましく、かつては不治の病と言われてきた難病にも、次々と新しい薬や治療法が発見されています。
また、予防医学の進歩で、健康についてのあらゆる情報があふれています。ちょっと関心のある項目について検索すると、次から次へと新しい情報が提供されます。その結果、「健康病」という新たな現象も生じています。情報に振り回されて、かえって迷いや思い煩いが増えて、健康問題から解放されないばかりか、それに一層縛り付けられるという、皮肉な現象が生じています。
確かに、日頃から健康管理を怠ったり、身体に害を及ぼすような不摂生なことは、慎まなければいけません。しかし、「命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようか」(ルカ12:22)と思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができるでしょうか。
私達は、自分自身の命とはいえ、自分の意志で、一分一秒といえども自由に延ばしたり、短くすることは出来ません。さらに、いかに思い悩んだところで、自分自身の人生や進路を、思い通りに自由自在に管理することは出来ません。
主イエス・キリストは、私達に、雀や烏のような空の鳥、木々や野原の草花など自然界のものに目を向けるように勧めます。空の鳥は、私達のように土地を耕したり、作物の種を蒔いたり、刈り入れもしません。しかし神は、空の鳥を御心のままに養っておられます。さらに、今日は野にあって、一日咲いただけで、翌日には萎んで枯れてしまう、アネモネのような草花でさえも、神は心にとめて下さるのです。
かつて、イスラエルの王として君臨して、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。ましてや神は、私達人間を、空の鳥、野の花に、はるかにまさる価値のあるものとして創られました(ルカ12:22-29参照)。
私達は、神によって母の胎内に生命を与えられただけでなく、骨格、筋や内臓まで形造られ、一つの人格を持った人間として、この地上に生を受けました。私も、三人の娘をもつ父親ですが、かつて初めての子供のエコー写真を見せられて、小さいながらも心臓が周期的に鼓動し、体が動いていることに、改めて、神の創造の業の神秘性に深い感動を覚えました。
さらに時が来て、出産に立ち会い、この地上に無事に生まれてきたのを目にした時に、この子は、神から私達夫婦に養育を委ねられた預かりもの、しかし、育てて下さるのは神御自身である、との思いが、脳裏に浮かびました。
この子が、この地上に命を与えられている限り、この子の生涯に必要なすべての物は、神が備えて下さるであろうとの思い、祈りが、心に湧き上がってきました。「父なる神様、どうか、この子がいつの日か、自らの口で、自分の創り主である、あなたを主と信じ、告白し、いつも神様のことを心に覚えて生きていくことができますように」との祈りです。この娘も、主の守りと導きの下に成長しました。これからも、さらに主のご用のために用いていただけることを願い、祈ります。
私達は、創造主である神に心を傾け、自らの人生を委ねて生きる時に、「自分が生まれて来た意味」が分かるのです。私達にはそれぞれ、神が与えて下さった他の人にはない賜物、個性があり、生みだされた目的があります。そして、神から与えられた賜物を活かして、神と人に喜んで頂けるように用いることが、豊かな人生を送ることになります。
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