リジョイス聖書日課

エゼキエル33章 希望を抱いて主に立ち帰れ

放送日
2025年9月9日(火)
お話し
久保浩文(松山教会牧師)

9月9日(火) エゼキエル33章

「立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書33章11節

 エゼキエルは、イスラエルの見張りとして、エルサレムの陥落と捕囚を経験し望みを失った民に、新しい民として再出発するために語りかけます。民の救いのためには悔い改めが必要です。神の裁きを重く受け止めた民の間では、「我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか」と、悲観的な空気が立ち込めていました(10節)。しかし、単なる絶望感からは自暴自棄しか生まれません。

 主なる神はエゼキエルを通じてイスラエルの民に希望を与えます。「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ」。主は、人が滅びることを喜ばれません。むしろ、悔い改める希望のない極悪非道な者をさえ、最終的には、主は御自分のもとへと心を向け、悔い改めることを忍耐して待っておられます。

 過去に犯した罪が如何に大きく絶望的であっても、主イエス・キリストの十字架の死と復活によって私たちのすべての罪と咎は贖われています。十字架に上げられた主イエスを、信仰をもって仰ぎ見るならば、赦されない罪はありません。主イエスの十字架には神の愛と忍耐が現されています。主イエスは、「わたしを愛しているか」と今も、私たち一人ひとりに語りかけています。

 【祈り】

 主なる神、十字架に現されたあなたの限りない愛と忍耐に感謝します。