キリストへの時間

神様って、どんなお方?

放送日
2025年8月3日(日)
お話し
石川亮(芸陽教会牧師)

石川亮(芸陽教会牧師)

メッセージ:神様って、どんなお方?

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。高知県安芸市本町2丁目森澤病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。
 今月のキリストへの時間は、私が担当します。この放送をお聞きくださるあなたと共に、御言葉の恵みにあずかることができることを嬉しく思います。

 「○○の神」とは、受験の神や縁結びの神やギャグマンガの神などで表現されます。また、「神ってる」との表現は、「神がかっている」の略で、普段は想像もできない大活躍をした人や、並外れた能力を発揮した人を指す言葉です。

 人は、たとえ信仰を持っていないとしても、「神」という言葉を使ったり、誰かを神のような存在として考えたりします。ですから、人は、たとえ神を信じていないとしても、心のどこかで、神という絶対的な存在を意識しているのかもしれません。

 私が生まれ育った家庭は、キリスト教の信者は一人もいませんでした。家には神棚と仏壇がある、日本では一般的な宗教観の中に育ちました。「神などいない」と思う一方で、他方、いつも心のどこかに、「神という絶対的な存在がある」と思っていました。

 キリスト者になる前、時々、激しい腹痛に襲われる時があったのですが、その時、決まって私が言うセリフは、「神様、助けて。もう悪いことをしないので、この痛みをなくしてください。」でした。また、自分に何か良いことがあれば、信仰がないにもかかわらず、「神よ、感謝します。」と言いました。私にとって神は、自分の都合の良い時に現れたり、都合の悪い時に助けを求めたりする存在でした。

 その一方で、神という絶対的な存在者によって、自分が「地獄に落とされるかもしれない」という恐怖を感じてもいました。なぜそのように考えたのかというと、自分が良い人間ではなく、自分は地獄に行く人間だ、と考えていたからです。自分が死を迎えた時、神が、私の目の前に現れて、神から地獄行きが宣告されることを想像して、恐怖に震えたことがあります。

 そして、自分自身が神であるかのように振る舞っていたことが多々ありました。人より少し優れたことができたぐらいで、私は、自分自身が誰よりも優れているかのように、他の人に接していたことがありました。そのような思い上がった私の行動によって、多くの人が傷つきました。

 人を傷つけてきた私が、人から傷つけられ、自分の力では這い上がることができないほど、深い穴に落とされました。そんな自分を見て、いい気味、人を傷つけてきたのだから因果応報、自分は終わった、と思いました。

 そんな私が、神と出会い、深い穴から助け出されました。ただ、神に助けを求めたわけではありませんでした。神から私の方に来てくださり、私を助けてくださったのです。自分の都合の良い時だけ、神を持ち出し、自分を神とし、神は自分を地獄へ行かせる存在としてしか考えていなかった私の方に、神から来てくださり、私を罪の闇から救い出してくださったのです。

 唯一のまことの神は、自ら人の方へと歩みより、人を、自分では上がることのできない「罪」という深い穴から助けてくださいます。私は、自分が傷つき、深い闇の底にいた時に、神と出会いました。しかし、神は、いつでもどこでも、その人がどんな状況にもかかわらず、現れてくださるお方です。

 世は明るく見えますが、実は、闇に覆われています。世にある人は、その闇の中で彷徨い続けます。神は、闇の中にさまよう人を探し出され、その人の手を引き、その光のある場所まで導いてくださるのです。

 私を救ってくださった生きたまことの神と、ラジオをお聞きのあなたが出会うことを、心から願っています。

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