6月13日(金) 士師17章
そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』士師記 17章6節
ミカたちは、旧約律法に反することを「自分の目に正しい」として、平然と積み重ねました。士師記の時代、イスラエルは霊的に低下していきました。人びとを主と律法に従わせる務めにあたるはずのレビ人も軽んじられ、ベツレヘムからさ迷い歩くようになりました(9節)。
ミカはレビ人に衣食住を提供して自分の家だけの祭司とし、「主がわたしを幸せにしてくださることが分かった」と勝手に断言します(13節)。そのようなミカをレビ人は戒めることができません。主による一つの規準をないがしろにし、それぞれが自分を規準とする自分勝手が横行したのです。そのような集団から神と人びとに仕えようという王や士師の出現を期待するのは無理と思えます。実際、士師記では、17章から最後まで士師は登場しなくなります。
しかし、主はそのような世の人びとをなお見捨てず、ついには神の御子イエス・キリストをお送りになりました。ベツレヘムに生まれたキリストは、神までも自分のための道具にしようとする、人間の自己中心を戒めつつ、神と人に仕えられました。そして、十字架の死によって人の罪を砕き、まことの王となって、神の御心がなされる神の国へと私たちを導かれるのです。
【祈り】
主よ、自分勝手に正しさを判断するのでなく、主が示される正しさにこそ従うことができますように。