キリストへの時間

思い悩むな

放送日
2025年6月1日(日)
お話し
小出昌司(高知教会牧師)

小出昌司(高知教会牧師)

メッセージ:思い悩むな

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。高知市上町4丁目にある改革派高知教会牧師の小出昌司です。                   
 今の時代は、聖書の時代よりも、社会構造も人間関係も複雑になっていますから、人を思い悩ませる材料に事欠きません。

 思い悩ませる材料は人によって違いますが、他人に対しては、「なんでそんなことで悩んでいるの」と言える人も、別のことで悩んでいるのです。ですから、「今まで一度も思い悩んだことなんかない」と言える人は、誰ひとりいないはずです。悩んでもどうしようもないと分かっていながら、思い悩まずにおれないのが現実なのです。

 そのような私たちに向かって、主イエスは、「思い悩むな」と言っておられますが、「いくら思い悩んだからといって何の解決にもなりませんよ」というような、無責任な慰めではないのです。イエスが教えておられるのは、人間に命と体を与えた神さまが、その命と体を保持するために必要な物を与えて下さらないはずはない、ということです。

 このことを考えさせるために、主イエスは、鳥が種も蒔かずに、刈り入れもしないのに、今日も元気に飛び回っていることや、野の花が働きもせず、紡むぎもしないのに、咲き誇っていることに目を向けさせて、「あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」(マタイ6:26)ということ、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」(マタイ6:30)ということをどう考えますか、と問い掛けておられるのです。
 
 神さまは、人間が生きることができる環境や、命のために必要な食べ物を整えてから、人間を造られたのですから、主イエスは、「あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」(マタイ6:26)、「あなたがたにはなおさらのことではないか」(マタイ6:30)と言っておられるのです。
 
 神さまは、鳥や花よりも価値ある人間の、命も体も養い守り育てていて下さるのですから、そのために必要な全ての物は、必ず与えて下さるはずです。このことが信じられた時、私たちは、命や体を支えるための補助的な物に対する思い悩みや執着から、解放されるのです。

 主イエスが思い悩んでいる人に向かって、「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。」(マタイ6:27)と言っておられるように、人間の思い悩みなど、何の役にも立たないのです。いえ、役に立たないだけではないのです。思い悩み過ぎたために、命も体も壊してしまうことだってあるのです。
 
 この世の問題を神さま抜きで考えると、自分で解決しなければ、とか、頑張らなくては、とか思い悩みますから、主イエスは、命と体の問題だけではなく、人間関係の問題も経済の問題も老いの問題も、人間が生活する上で発生する全ての問題を、神さまとの関係で考えなさい、と教え、「今日という日を大切に、精一杯生きなさい」とエールを送っているのです。
 
 未来のことは神さまがご支配しておられる領域ですから、人間としては、今日一日のことだけに集中しなさい、と教えておられるのに、無理して先の先まで考えようとするから、今日のことが疎ろそかになって、神さまによって生かされているという思いが希薄になるのです。

 「思い悩むな」という言葉は、神さまに信頼して生きることを求めています。神さまを信頼して生きるのか、それとも、補助的に与えられている能力や地位や富を信頼して生きるのか、そのことが問われているのです。自分が誇っている全ての物は、いつ無くなってしまっても不思議のない物ばかりですが、神さまのご存在は、永遠であり不滅なのです。
                           
 教会に来て、主イエスを救い主として信じたら、この世の思い悩みが無くなるという訳ではありませんから、私たちがこの世に生きている限り、私たちの心から思い悩みがなくなることはないのです。                          
 
 しかし、神さまは、私たちの命と体のために本当に必要なものをご存じですから、それを与えて下さるお方であることが信じられた時、私たちは、その日一日の苦労を、その日だけの苦労として背負って行く力が与えられ、日毎の思い悩みから解き放たれている自分を発見することができるのです。

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