杉山昌樹(上福岡教会牧師)
メッセージ:中風なのは誰か?
いかがお過ごしですか。上福岡教会の杉山です。
聖書には、中風の人、すなわち、脳血管障害を患って体の動きが妨げられた男性が、友人たちに担がれて、イエスの所に連れてこられ、いやされた、という話があります。今日は、特に、その聖書に書いてある状況説明の言葉についてお話しします。
イエスは、友人たちに連れてこられた中風の人ではなく、彼を担いできた友達の信仰を見て、「中風の人に…言った」と書いてあります(マルコ2:3-5参照)。私たちは、「信仰」という言葉を、とても神秘的なものだと考えてしまうことがあります。しかし、このところで、中風の人の友達がしたのは、ただ、まっすぐな行動でした。体の自由が利かなくなってしまった友人を、多くの人が押し寄せていた家に担いでいって、何とか工夫をして、イエスの前に置いた、だけです。
そこで、明らかになったことがあります。それは、この友人たちは、イエスに会ってもらったら何かが変わるかもしれない、と信じたことです。それを言い換えるのなら、イエスに対して心を開いていた、と言えるかもしれません。イエスは特別な力を持っていて、人々を助けてくれるらしい、という噂を聞いたとして、わたしたちは、そんなはずはない、と心を閉ざすことができます。一方、この噂に賭けてみようと、心を開くこともできます。
この時の友人たちは、イエスに心を開いて、出かけて行きました。その結果、中風の男性は起き上がり、床を担いで出て行った、と報告されています(マルコ2:12参照)。心を開いて信頼するところから、すべては始まります。