リジョイス聖書日課

ルカ18章9-14節 ファリサイ派の人と徴税人

聖書日課
2019年10月27日(日)

ルカ18章9-14節 ファリサイ派の人と徴税人

  

「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」(ルカ18:14)

 その当時、ファリサイ派の人と徴税人は対照的でした。ファリサイ派の人は、アブラハムの子という特権意識と律法の遵守によって、正しい人とみなされていました。逆に徴税人は、私腹を肥やすことや異邦人との交際などによって、罪人として軽蔑されていました。

 しかし、このときファリサイ派の人は立って、断食や10分の1の献金のような自分の義を誇る祈りをささげました。徴税人は遠くに立ち、自分の罪に心を留め、神の憐れみを求めて祈りました。偽善に満ち、高慢なファリサイ派の人と、自分は罪人であり無価値な者であると認めている徴税人の姿が、非常に鋭く対比されています。

 マシュー・ヘンリーは、「彼の祈りは短かった。ため息と嘆息が彼の言葉を呑み込んだからである。しかし、彼が語ったことは素晴らしかった」と解説しています。

 主イエスは、義とされて家に帰ったのは徴税人であったと語られます。神の御前にへりくだる、低い姿が求められています。私たちの祈りの姿は、ファリサイ派の人なのか、それとも徴税人なのでしょうか。

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