御子キリストを迎える用意 | マタイによる福音書 24章36-44節

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マタイによる福音書 24章36-44節

「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 24編42節

御子キリストを迎える用意

2021年の待降節に入りました。教会暦では、きょうからが新しい年です。その年の初めに私たちは、来たる御子のご降誕を覚えて備えることから始めます。

きょうの箇所は、やがて来たり給う再臨の主を覚えて待つ場面ですが、ここに、ご降誕の御子を重ねて教会はこれまで歩んできました。いわば、救いの始まりと完成の両方を視野に入れて、教会は待降節を過ごしたのです。私たちはこのとき、やがて来たる主を如何に待つべきでしょうか。「目を覚ましていなさい」との主の御声が、私たちの目線を天へと上げてくださいます。

現実に目を向ければ、今年も私たちはそれぞれに厳しい所を歩んできました。特にコロナ禍にあって歩みは抑制されました。しかし私たちは今一度、御言葉に導かれて「目を覚まし」、この方を信じて到来(ご降誕)に備えたく思います。私たちの命は主と共にある。この方が私たちを罪と死と滅びから救い出してくださった。試練や疫病下の世によって、私たちの歩みの本質が変えられたりはしないことを確信し、目を覚まして歩みたく思います。

大木 信(西鎌倉教会)