わたしは門である | ヨハネによる福音書 10章1-10節

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ヨハネによる福音書 10章1-10節

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。…わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 10章9節~10節

わたしは門である

ヒトラーに対抗したドイツ教会闘争の金字塔とも言えるバルメン宣言の第一項に、キリストこそが唯一の門であるというこの聖句が掲げられています。そして、「聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、我々が聞くべき、また我々が生と死において服従すべき神の唯一の言葉である」と宣言されています。そのようにして、ヒトラーに追従する「盗人や強盗」どもを退け、どこまでもキリストを信じ従おうとした先人の戦いを、今日の日本の文脈において、我が戦いとしていきたいと願います。

「狭い門から入りなさい」との御言葉も思い出されます(マタ7章13節)。命に至る門は狭いとの教えに、私たちは緊張を強いられます。戦いの覚悟が求められます。

そして、何よりもまず覚えていたいのは、その門は、主イエスが命をささげて、文字どおり必死の愛をもって、こじあけてくださった救いの門であるということです。固く閉じられていた重い門を、血まみれ、汗まみれ、泥まみれになって必死にこじあけながら、「さあ、今だ。ここから入りなさい!」と、大声で叫んで招いておられるのです。

坂井 孝宏(湘南恩寵教会)