キリストの愛を知る | エフェソの信徒への手紙 3章

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エフェソの信徒への手紙 3章

あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 3章18節~19節

キリストの愛を知る

パウロは手紙の読者たちが霊的に成長することを願います。ここでは、特に人知を超えたキリストのすばらしい愛を知るようにと言います。

「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを」と、パウロはさまざまな概念を総動員してキリストの愛のすばらしさを語ります。彼もキリストの愛の全貌を知っているのではありません。しかし、罪人の中で最たる者(1テモ1章15節)である自分がキリストの愛に捕えられ、キリストのものとして生きる中で主の愛を知れば知るほど、彼は「神の満ち溢れる豊かさ」に満たされる幸いを覚えるのでした。その同じ幸いに読者たちにも与ってほしかったのです。

ルターは、若い元気な時は自分が死に向っている存在であることを覚え、老年になって死が近くなった時は、死そのものよりイエス・キリストに目を留めるべきだと言いました。私たちも年を重ねる毎に、天におられるキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さをますます知り、讃える者にされたいと思います。

主よ、あなたの愛をさらに鮮やかにかつ豊かに知る者へと私たちを清めてください。

田村 英典(岡山西伝道所)