ヨハネの手紙一 1章
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 1章7節
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 1章7節
2017年7月の聖書日課をまとめて表示します。
「ヨハネの手紙一」の聖書日課をまとめて表示します。
三野 孝一が担当した聖書日課をまとめて表示します。
『ハイデルベルク』が洗礼について教えるところでこのような問いがあるのには、特別な時代背景があります。当時のローマ・カトリック教会は、司祭によって執行される洗礼の水そのものが自動的に洗礼を授けられる人の罪を洗い清めると、教えていました。ですから、『ハイデルベルク』は、その教えを聖書の教えではないと否定して、次のように言います。「いいえ。ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです」。
旧約の時代、神はご自身の民イスラエルに「罪の献げ物」の規定を与えられました(レビ4章1節以下)。そして神は、献げ物を献げたその人の罪が「罪の献げ物」の流す血によって清められたということを、示されました(同17章11節)。
新約の時代、神はイエス・キリストが十字架の上で死んで血を流されたことによって、信じる人の罪を清めて、聖としてくださいます(ヘブ9章11~14節など)。そして神は、洗礼という「外的な水の洗い」という目に見える形、体感できる形で、洗礼を受ける者は罪から清められ、聖とされたことを、証印してくださるのです。