神の恵みによって無償で義とされる | エフェソの信徒への手紙 2章

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エフェソの信徒への手紙 2章

事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 2章8節~9節

神の恵みによって無償で義とされる

私たちは、空気そして親からいただいた命などは無償でもらっています。おそらくこれらの代価を支払うことができる人はこの世には存在しないでしょう。なぜならそれらの値段を決めることすらできないからです。

同じように聖書も、救いはただ神の恵みによってのみ与えられると証言しています。神の賜物をただで信仰によっていただけると言うのです。神の恵みの価値をはかることも、代価を払ってその賜物を買うことも不可能だからです。「ただで」とは言いましたが、神が罪と全く関係のないご自身の御子であるイエス・キリストの命を十字架に引き渡し、代価を完全に支払ってくださっています。

主イエスという代価は、罪人である私たちのすべての罪の問題を解決します。私たちが神の前で義と認められるだけではなく、神の子となる特権をも与えられます。ついに私たちは神の栄光を表す最高の存在へと変えられ、神を永遠に喜ぶことのできる者に変えられます。神の計りしれない恵みは、無償で私たちの体に永遠に表れ満ち溢れます。

金 度亨(小倉伝道所)