
大木信(坂出飯山教会牧師)
メッセージ:「食育」から思うこと
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。坂出飯山教会牧師の大木信です。
まだ娘が小さかった頃に、私の目や耳の中に飛び込んできた言葉の一つに、「食育」という言葉があります。「食育」…食を通して健全な食生活を実践できる力を育み、生きる力を養うこと。食育について少し調べますと、こんな定義がされていました。なるほど、「食べること」とは「生きること」に関係しますから、この食生活を通して生きる力を養う、食生活の健全性により生活全体も整えていくこと、これはとても大事だなと思いました。
自らを振り返ってみても、独身時代、寮生活をしている時は食生活もまだ良かったのですが、一人暮らしで自炊していた時期は、食生活が不安定になることもよくありました。お腹を満たせればそれで良い。その場しのぎの食事だったり、また、食べる時間帯も定まらず、体を労わらない日々が何日も続く、ということもあったと思います。
地産地消ではありませんが、出来るだけその住んでいる地域のものを、旬な時に、新鮮な状態で頂くことのできる力。ただ料理できるという事だけでなく、食を通しても自らを成長させ、体を労わり、整えていくことの出来る術を身につけておくことは、大事だと思います。特に「食育」ですから、例えば「おふくろの味」ではありませんが、次世代の子どもの心身の健全のためにも、食べることを通して命を継承していく事柄は、とても意味あることだと思います。
最近は、レトルト食品や冷凍食品、また、一人暮らし用の少量のおかずやお総菜、あるいは、栄養価が考えられたおかずが一つになって、電子レンジで簡単に食べられるものなどが充実しており、お金さえ出せば生活し易くなりましたが、その一方で、手間暇かけて愛する人のためご飯を用意する営みからは、徐々に引きはがされているような思いもいたします。
ちょっと話が長くなりましたが、「食育」というテーマを考える時に、クリスチャンであり、牧師でもある私が、もう一つ考え、あなたに伝えたいことがあります。それは、神がお与えくださった聖書の言葉をいただく、聖書の言葉に聞く、この事です。
聖書の言葉をいただくという事は、神がお考えになっておられること、つまり、神の御心を知り、神の御心に養われていくことに他なりません。神の御心という食べ物も、食べ続けないと死んでしまうもの。その事は、聖書自身がそう教えていることです。
聖書の言葉、特に、日曜日の礼拝の中で聞く説教を通して養われるときに、あなたの心は、いよいよ神を知って大きく成長していきます。体でも、幼児の時の景色、少年時代の景色、また青年時代、大人の景色で違いますように、説教を通して養われ続けていく中で、今までには見たことない、聞いたこともない景色が、きっと見えて来るはずです。毎週日曜日に教会に来て、説教に聞き続けていく中で、目や耳が開かれる境地です。
最後に、本日は聖書の言葉をご紹介して、終わりといたします。イザヤ書55章1節から3節の前半までです。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い 飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。」
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