
大木信(坂出飯山教会牧師)
メッセージ:礼拝で得られる幸い
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。坂出飯山教会牧師の大木信です。
クリスチャン…イエス様を信じる人は、日曜日に教会に行きます。もしかしたら、あなたの周りにも、「日曜日には教会に行く」というクリスチャンの方がおられるかもしれませんね。しかし正直、日曜日に教会に行って、いったい何をしているのでしょうか。
私は、クリスチャンホームに生まれました。つまり、私の両親もクリスチャンでした。まだ物心つく前から教会に行っていましたので、小学生の時期にもなりますと、クラスメートからよく聞かれた一つが、「日曜日に教会に行って何をするの?」でした。
そして、まだ小学生であった私は、この質問に対して、明確な答えを持っていませんでした。毎回違う答えを、その時その時にしていたように思います。ある時は、「神さまのお話を聞くところ」と答えていましたし、またある時は、「讃美歌を歌ったり、お祈りしたりかなぁ…」と答えたりしていました。
すべて間違った返答をしているわけではないのですが、その時々によって、答えが変わっていたように思います。結局わたし自身、まだあの頃は、親に連れられて行く意識が強かったためなのか、答えが明確ではなかった。どこか答えがぼやけていた。だから、返答がその時々よって変わっていったのだと思います。
しかしそんな私も、二十歳そこそこの時と30代前半の頃に二度、本当に心が飢え渇いた時期がありました。人生に悩み、心満たされずに、不安を抱えながら何とか生きていたという時期がありました。
特に、30代の2回目の時は深刻でした。なかなか先が見通せないでいたのです。改めて振り返りますと、まるで吹雪の中を何とかかんとかやっとの思いで一歩ずつ歩いているような、方向さえもあっているのか分からない、そんな状態でした。思い返せば、私にとっての試練の時、そして、神の扱いを受けている時、神と真剣に向かい合うその時でした。
そういう状態の時に、今は亡き恩師に出会うのです。きっと神がお遣わし下さったのでしょう。その方のサポートのもと、私の道はやっと開けました。私にとって二度目の回心です。まさに「目から鱗」のような思い。悪い夢から現実へと連れ戻された思い。生きる道がはっきりと見えて来た時でした。ですから、私にとっての「教会」とはそういう場所、つまり、私の人生のすべてを、この大きなスパンのなかで導いておられる神と、もう一度向かい合う場所。神との公的な出会いの場所なのです。
「百聞は一見に如かず」とも言いますから、一度あなたも気軽に、教会に足を運んで下さると分かってくださるかと思うのですが、教会では、毎週、神を礼拝しています。しかし、私の言い方で言えば、礼拝をする中で、つまり、讃美歌を歌い、祈り、また聖書のお話を聞く中で、あなたの人生をも確かに導いておられる神との出会い、そして、神と向かい合う場所、これが、礼拝のひと時です。
私たち一人一人に命を与えて下さる神に、先週一週間も守られ、導かれたことへの感謝を捧げる時。そして、神よりいただく新たな生きる糧、聖書の言葉に聞いて、力を得て、また新たな一週間へと出ていく。教会に帰って来て、一番平安な時、心豊かな時を神と過ごし、充電して、パワーチャージして、また、今週の勤めへと戻っていく。これこそが、日曜の礼拝で得られる幸いです。あなたも、この神に出会ってみませんか。
※ホームページでは音楽著作権の関係上、一部をカットして放送しています。




