
大木信(坂出飯山教会牧師)
メッセージ:敵をも愛する
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。香川県坂出市にあります、坂出飯山教会牧師の大木信です。
今月は、私が担当いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
この前、娘の昔の動画や写真を見返す機会があり、その娘がまだ幼稚園児だった頃、「今日、幼稚園で、『イカのお寿司』を習ったんだよ」と言った時があったことをふと思い出しました。「なぜ、幼稚園で『イカのお寿司』なのか」と最初は思っていましたが、よくよく聞いてみたら、防犯標語らしく、「知らない人に簡単について行ってはいけない」という事を教えたくて、「イカのお寿司」と言っているようなのです。
イカのお寿司の「イカ」は、「知らない人に着いて行かない」という事であり、イカのお寿司の「の」の部分は、「知らない人の車には乗らない」の「の」であり、お寿司の「お」は、「危ない時は大声で叫ぶ」の「お」らしく、お寿司の「す」は、「知らない人に声をかけられたらすぐ逃げる」の「す」であり、お寿司の「し」は、「知らない人に声をかけられたら、すぐに近くの大人に知らせる」の「し」のようなのです。
個人情報のことが世間で言われるようになってから、私たちの生活環境は、もう一段階、変わったような気がしています。また、防犯の観点からも、より進化したように思えます。学校の様々な情報も、今はアプリで流れてくる時代ですが、不審者がいつどの辺りでどんな様子で出たか、という事も、そのアプリから情報共有される時代です。
しかし、身の安全について、社会意識が高まれば高まるほど、閉塞感を覚えると言いますか、壁を高く高くする行為と言いますか、まるで、疑いの眼差しで他者を見るようで、息が詰まるような思いをしているのは、私だけなのでしょうか。なにかいつ現れるか分からない敵と戦っているような、足取りが重くなる思いをしているのは、私だけなのでしょうか。
聖書に、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:44)という御言葉があります。これは、なかなかチャレンジングな神からの御言葉です。
なぜなら、本来、なかなか敵を愛することなんて出来ないのが私たちだからです。敵や苦手な相手から嫌なことをされれば、やり返したくなるのが私たち。本当にやり返さないまでも、心の中では口汚い言葉、ののしりの言葉が湧き上がってくるのが私たち、だからです。ですから、この御言葉の前に、立ち尽くしてしまうのです。あまりにもこの教えのハードルが高くて、見上げてしまうのです。
しかしそれでも、イエス様を信じる人は、この御言葉に生きようとします。出来ない自分を一方で見いだしながらも、この御言葉に何とかくらいついて生きようとします。それはなぜかと言いますと、イエス様ご自身が、その様に生きた方だからです。
イエス様は、侮辱され、ののしって来る者たちのためにも祈り、十字架にかかられました。その、どんな人にも湧き上がってくる悪い思い、これこそを、聖書は「罪」と教えていますが、その罪のためにも十字架におかかりになりました。敵を愛するというこの事を、まさに実践したお方です。
これをお聞きのあなたにもあるであろう罪のためにも、イエス様は、十字架におかかりになったのです。身の安全ばかりを守って、結果、高い壁を作ることで安心するのではなく、イエス様のように、裏切られ、ののしられても、人との交流に生きたい、その様に思います。
最後に御言葉を一節朗読して、終わりといたします。マタイによる福音書5章44節「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
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