9月20日(日) マタイ20章1-16節
「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』マタイによる福音書 20章14節
主イエスは、ぶどう園の主人と労働者のたとえで、神の慈しみの豊かさを教えてくださいます。一日の労働が終わると、最後に来た者から賃金が支払われます。日暮れに雇われた者は、与えられた恵みに感謝し、生かされる喜びに震えます。夜明けから汗を流した者は、周りと比べて、自分の考える正当な報酬を求めます。地上の社会は成果と効率で動きますが、天の国は主人の慈愛という別の物差しで満たされているのです。
一時間しか働かなかった者に一日分の賃金を与える主人の姿は、人間の目には不公平に映るかもしれません。しかし、主イエスが見つめているのは、労働の量ではなく、誰にも雇われず広場に佇んでいた者の切実な絶望です。主の心は、誰ひとりとして空腹のまま帰したくない、家族を養う糧を与えたいという愛と慈しみに満ちています。
神の恵みとは、そもそも資格なき者に注がれる無償の贈り物です。私たちは皆、主の憐れみによって招かれた者同士ではないでしょうか。自分の損得を計算する手を止め、主の「気前のよさ」を共に喜ぶとき、私たちの心に真の平和が訪れるのです。
【祈り】
主よ、私たちの狭い正義感であなたの愛をはかることがありませんように。比べる心を捨て、きょう生かされている幸いを感謝します。あなたの慈愛の中で、互いに愛し、主の招きを喜んで歩む者であらせてください。




