10月6日(月) エゼキエル47章
「その岸には、…あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書47章12節
エゼキエルを案内した青銅のように輝く人は、再び彼を神殿の入り口に連れ戻しました。そこでは水が神殿の敷居の下から湧き上がっていて、東の方に流れていました。輝く人に導かれてエゼキエルは北の門から外に回り、東に向かう外の門に行きました。すると水は神殿の南壁から流れ出て、川のようになっていました。最初に一千アンマ(約525メートル)進むと、水の深さはくるぶしまででした。さらに一千アンマを測ると、水は膝に達し、さらに一千アンマ先は深さが腰に達し、その一千アンマ先では渡ることのできない川となっていました。
川の両岸には多くの木が生えていました。この川はさらに死海に注がれ、群がる生き物は生き返り、魚も非常に多くなりました。破壊される前の神殿に、このような川はありませんでした。新しい神殿から豊かな水が流れ出る幻です。
主イエスは、ヨハネによる福音書7章37〜39節で、聖霊を生ける水にたとえておられます。ヨハネの黙示録22章1節では、神と小羊の玉座から流れる命の水の川が語られています。エゼキエルは、やがて完成する神の国の命の水の川を見たのでしょう。神の霊が命の水のように流れ出て、世界を潤すのです。
【祈り】
主なる神様、渇きを覚える私たちに命の水を与えてください。アーメン