9月20日(土) 箴言20章
主の灯は人間の吸い込む息。腹の隅々まで探る。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』箴言20章27節
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創2章7節)。聖書は人間の創造についてこのように教えています。この主なる神の息によって造られた私たちは、きょうも生きる者として神の言葉をいただいています。
私たちが神の言葉に生きることが許されるのは、いつも、主なる神が私のことを知ってくださるからです。それが主の照らしです。自分でも気づかないわたしの奥深くに主は臨んでくださり、神の言葉の光が照らしてくれます。その確かさを詩人は「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる」と歌います(詩139編1〜4節)。
残念ながらこちら側に神の語りかけをしっかりと受けとめる力はなく、罪によって壊れてしまいました。けれどもその只中において主の灯として隅々まで照らし続けてくださっています。たとえこちらが忘れても、主の照らしが消えることはありません。
【祈り】
主よ、あなたに照らされてきょうも生きる者とされていることを感謝します。それを失うことがありませんように。