リジョイス聖書日課

エゼキエル35章 そのとき主こそ神であると知る

放送日
2025年9月11日(木)
お話し
小野田雄二(上野緑ケ丘教会牧師)

9月11日(木) エゼキエル35章

「セイル山よ、エドムの全地よ、お前は荒れ地となる。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書35章15節

 箴言24章17節の御言葉は、私たちにこう教えています。「敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな」。それゆえ、どのような敵であっても、私たちがその相手に対して持つべきは敵意とあざけりの心ではなく、赦しと憐れみの心です。しかし、セイルすなわちユダの隣国エドムの人びとがイスラエル人に対して持っていたのは、敵意とあざけりに満ちた心でした。

 確かに、彼らがイスラエル人を憎悪するのは当然だったかもしれません。ダビデによって一万八千人が討ち殺され、隷属させられていた過去があるからです(サム下8章13、14節)。そのため、彼らはバビロンの手から逃れた者たちを剣に渡し、さらに弱体化したかつてのダビデの王国を占領しようと企てます。

 この果てしない敵意を抱いている彼らに、主は徹底した裁きを告げられます。「お前を荒れ果てた廃虚とする」(3節)。けれども、このときにこそ彼らは知るのです。主こそ神であることを。悔い改めに進む最初の一歩へと、主が導かれるのです。

 箴言24章17節に続く御言葉を心に留めましょう。「主がそういうあなたを見て不快とされるなら、彼への怒りを翻されるであろう。…主に逆らう者のことに心を燃やすことはない」(18、19節)。

 【祈り】

 ゆだねるべきことと為すべきこととを見分ける知恵をお与えください。