キリストへの時間

生涯の日を正しく数える

放送日
2025年9月14日(日)
お話し
藤井真(千里山教会牧師)

藤井真(千里山教会牧師)

メッセージ:生涯の日を正しく数える

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。千里山教会の牧師、藤井真です。
 私には、二人の子どもがいます。10歳の息子と5歳の娘です。家庭で、子どもたちと一緒にお祈りをすることがあります。

 食事の前にもお祈りをするのですが、そこで息子は、食事の感謝とともに、「今日は日曜日です」とか、「明日は月曜日です」という言葉を必ず口にして祈ります。小さい頃からずっとそのようなお祈りをしているのです。親が教えたわけではないのですが、息子なりに、「今日は何曜日」、「明日は何曜日」ということが、いつも気にかかっているのかもしれません。一日一日、指を折るように数えているのでしょうか。

 大人もまた、人生という大きな計画、1週間の計画、毎日の計画をいつも気にして生きているところがあります。将来のことがすべて分かるわけでもありませんし、自分の立てた計画どおりにすべてがいかないかもしれません。しかしそれでも、ある程度、大まかな計画や人生設計を立てながら生きていくのだと思います。

 とは言うものの、やっぱり私たちは、先を十分に見通す力がありません。計画を立てても、それを実行する力がないのです。目の前のことで本当にいっぱいいっぱいなのです。そして、気がついたら、もうこんな歳になっていた、ということも珍しくありません。

 今年ももう9月です。一年の3分の2が終わりました。私たちは、色んな節目に立たされる時、よく「あっという間だった」と口にします。そして、この「あっという間」という言葉の中には、どこか空しさがあるように思えてならないのです。したいことが何もできないまま、ただ時間だけが早く過ぎて行ってしまう。そしてついに、地上の人生を終えてしまう。そのことを思うと、私の人生は何と儚いことか、何と空しいことか。そのような思いで、心がいっぱいになってしまうのです。

 「神様を信じて生きる」とは、どういうことでしょうか。神様を信じると、私たちはどのように変わるのでしょうか。色んなことが言えるかもしれません。でも一つ言えること、それは、神様から知恵を与えられて、賢い生き方をすることができるようになる、ということです。

 聖書の「詩編」と呼ばれる箇所に、次のような言葉があります。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」(詩編90:12)神様を信じて生きる人は、間違った仕方で毎日を数えるのではありません。つまり、「儚い」とか、「空しい」とか、「あっという間だった」、そう言って、過去を振り返り、ため息をつきながら将来を見つめるのでもないのです。

 なぜなら、私たちを取り囲んでいるのは、儚さではないからです。儚さに代表される罪や死が、私たちを取り囲んでいるのではないのです。それらのものにすべて勝利をしてくださった、いのちそのものであられるイエス・キリストの祝福が、私たちの毎日の生活を取り囲み、包み込んでいるのです。だから、私たちは、生涯の日を正しく数えて生きることができるのです。困難な中にあっても、なお賢く生きる道が、そこに拓かれるのです。

 先ほど紹介した詩編の最後に、このような祈りの言葉が記されていました。「わたしたちの神、主の喜びが わたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを わたしたちのために確かなものとし わたしたちの手の働きを どうか確かなものにしてください。」(詩編90:17)

 私たちの手の働きというのは、それほど大きなものではないかもしれません。自分の手のように、本当に小さなものでありましょう。こんなことをして何になるのかと、思うこともあるかもしれません。しかし、どんなに小さな手の働きであったとしても、そこにイエス・キリストのいのちの光が注がれているのです。この恵みの事実を見出す時、私たちはいのちの手応えを感じながら、日々の生活や仕事に、喜びをもって励むことができるのです。

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