8月21日(木) ローマ3章
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ローマの信徒への手紙3章24節
「神の義」は、イエス・キリストを信じることにより与えられます(22節)。キリスト者は、「神の恵みにより無償で義」とされています(24節)。無償の義です。ただで与えられる義です。与えられる側にそれに相応しい価値がある訳でもなく、理由もなく、ただで与えられます。それが、パウロが語る神の義です。罪人がどんなに努力しても、持つことも作り出すこともできない義を、神が与えてくださるのです。
神が私たちを神の前に正しい、義であると判断してくださるのは、私たちの主張が正しいからではありません。また、神が赦してくださるのは、私たちの行いが正しいからではありません。何の権利もないのに、神は義を与えてくださるのです。
ですから、私たちが、自分の中に何か良い点を見出そうとするのは愚かなことです。神の前に誇れることを発見しようとすることは、愚かなことです。ですから、私たちは、自分を見つめすぎてはなりません。自分の中を掘り進んでも仕方がありません。良いものは出てきません。
私たちが目を留めるべきは、キリストのみです。イエス・キリストの十字架に心を留めるのです。その恵みの約束に信頼するのです。
【祈り】
主よ、神の前に何の正しさもない者を、ただイエス・キリストの贖いのゆえに、無償で義としてくださることに感謝いたします。