5月6日(火) ヨシュア記20章
過って人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。…裁きを受けるまでの期間、あるいはその時の大祭司が死ぬまで、町にとどまらねばならない。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨシュア記20章3,6節
主が定められた逃れの町は、過って、あるいは知らずに、人を打ち、殺してしまった者が、血の復讐をする者から逃れるための場所です。町の門の入り口で長老たちに申し立てると、その町に受け入れられます。
殺人の罪は取り返しがきかない罪です。けれども、罪が赦され自由となる唯一の道が特別な恵みとして与えられたのです。神と人との間を仲立ちする大祭司が死ぬと、自分の町に帰ることができたのです。民を代表する大祭司の死は、殺人者の死の身代わりとして、その代償が支払われたことになるのです(レビ16章)。
イスラエル人だけでなく、寄留する異邦人にも適用されました。その町は、どこからでも半日以内に駆け込むことができるよう六箇所に設けられました(7、8節)。
主イエスは永遠の大祭司です。私たちの罪の身代わりとして御自身を献げてくださいました。誰でも「御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」(ヘブ7章25節)。この恵みにあずかるのに必要なのは、罪の告白です。パウロは罪の赦しに心から感謝し、自分の罪を認め、「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」と感謝し告白しています(1テモ1章15節)。
【祈り】
主よ、あなたからの一方的な恵みに感謝いたします。この福音を代々にわたって語り伝えさせてください。