杉山昌樹(新座志木教会牧師)
メッセージ: 顔の覆い
いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
今日は週の始め、日曜日です。キリスト者は、教会に集まります。神様を礼拝します。しかし、このような感覚は信仰を持たない方には、いささか、熱心すぎるように思われる場合もあるようです。
なぜ、そのように毎週日曜日に教会に行くのですか?と尋ねられたとしたら、私もそうですが、キリスト者はどう答えることができるでしょうか?また、キリスト教信仰を持っておられない方は、どのような答えが返ってきたら納得されるでしょうか?
もちろん、答えは何通りもあってよいのだと思います。ある方は、礼拝するのは本能のようなものだから、と言われたようです。すっかり、そうすることが当たり前になっているので、そうしない方が不自然に感じる、ということでしょう。それはとても素晴らしいことですが、私が答えるとすれば、それにもう一つ加えさせていただきます。
聖書の中でとても好きな言葉があります。「私たちは、顔の覆いを除かれて」という言葉です。私たちは、自分では気づくことができない覆いを、それぞれに持っているようです。それゆえ、様々なことについて、おかしな判断をしがちになります。しかし、神様に向き直れば、この覆いは取り除かれると、聖書には書かれております。
日曜日、あるいはそれ以外でも、神様の言葉に触れます時に、この覆いが取り除かれてゆくのです。そこに熱心の理由があります。
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