あさのことば

わたしは復活であり、命である

放送日
2009年7月2日(木)
お話し
立石章三(横浜中央教会牧師)

立石章三(横浜中央教会牧師)

メッセージ: わたしは復活であり、命である

 お元気ですか。横浜中央教会の立石です。今週も聖書から、イエス様のお語りになったお言葉を聞きましょう。

 「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)

 イエス様は「私は道である」とか「パンである」「門である」というように具体的な物を取り上げて言われました。それはどれも良い印象を与えるものばかりです。もしイエス様が「私は山である」とか「海である」とかおっしゃったら、抵抗感を覚えた人も出てきたでしょう。山には山賊がおります。狼もいます。海には恐ろしい嵐があるからです。イエス様の文学的なセンスはなかなかのものですね。

 今日の言葉ではイエス様は「私は復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」。今までよりも突っ込んだ表現で語られました。それは復活という言葉に説明が必要だったからです。復活とは蘇生、つまり死んだように見える人が息を吹き返したということではないのです。
 イエス様は十字架で殺され、三日の後に復活されました。もう一度死ぬべき身体によみがえったのではなく、もう決して死なない、栄光の体に復活されました。この復活を信じる私たちは、イエスと同じように復活するのです。それはイエス様が「信じるすべての者たち」が「死んでも生きる」ように、その道を備えて下さったからです。

 キリスト教とは、イエスという、昔存在した宗教的天才の、行いと言葉に感動した人々が作り出した宗教というのではありません。イエス様の復活という事実の上に建てられた教会に、今も復活のイエス様が生きて働いておられることを証言する。そういう宗教なのです。

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