大宮季三(横浜中央教会牧師)
メッセージ: クリスマス~系図
おはようございます。横浜中央教会の大宮季三です。
今週は、クリスマスの週なので、クリスマスと関連するお話をしていきたいと思います。
さて、新約聖書の1ページには、「イエス・キリストの系図」が記されています。系図とは、自分の身元を明らかにする重要なものです。ですから、都合のよいように系図を改ざんすることは、珍しくなかったようです。江戸時代の武士にとって、系図は、給与や出世に大きく関わるものでした。ですから、見栄えの良い、「映える」系図作りが流行したようで、それを商売とする「ニセ家系図屋」というのもあったそうです。
ところで、聖書が記す救い主イエス・キリストに連なる系図には、一見削除すべきと思われるようなことが書かれています。例えば、「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」(マタイ1:6)という部分です。
王であったダビデは、自分の部下ウリヤと結婚関係にある女性との間において、つまり、不倫関係において子どもをもうけたことが、この系図に記されています。ダビデはその後、不倫関係を隠蔽するために、部下であるウリヤを戦死させるようにしむけます。非常に残酷な話です。
このように、イエス・キリストの系図は、救い主にとって一見不都合な系図です。しかし、ここから、イエス・キリストの産まれられた意味を考えることができます。人類の歴史は、罪と悪にまみれています。だからこそ、罪と悪をご自身の血によって洗い流すために、イエス・キリストが来られました。
私たちが「映える」と思っているところに、救い主が来られるのではありません。「映えない」、汚い、見られたくない、どうしようもない、と思っている私たちの現実の中に、救い主イエス・キリストが訪れます。