3月30日(月) ヨブ14章
どうか、わたしを陰府に隠してください。…
しかし、時を定めてください。
わたしを思い起こす時を。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨブ記 14章13節
ヨブは、神がヨブを懲らしめることの不合理さを申し立てるにあたり、人間という存在の弱さを強調します(1、2節)。神がとりたてて懲らしめたりしなくても、放っておけばいずれはしおれる。切られたところから若枝が芽吹き命を繰り返すという、樹木のような性質はない(7~10節)。それが人間だ、と言うのです。
そこでヨブは、神がヨブへの懲らしめをやめ、むしろ死後も共にいてくださればよいのにと空想します(13~17節)。ヨブの苦悩は、妻にも(2章9節)、友人たちによっても慰めを得られない孤独という、陰府に下るにも等しいほどの苦痛でした。ヨブはこれ以上ない苦痛の中で、神に「御目を…そらせてください」(6節)と願いつつ、同時に神に愛され大切にされたいとも夢見る矛盾を抱えて、呻きました。しかし結局ヨブは、神に愛される望みなど既に絶たれているのだと合点します(18~22節)。空想によっては、救いを得ることができなかったのです。
「神に愛される」という救いは、儚い空想に過ぎないのでしょうか。いいえ。それは聖書が示す、目に映らない信仰的な現実です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハ3章16節)。この現実を信じて、神と共に生きましょう。
【祈り】
神がわたしを愛しておられるという信仰的な現実を信じることができるよう、きょうも導いてください。









