3月8日(日) ヨハネ4章1-42節
「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨハネによる福音書 4章14節
主イエスは今、伝道の旅に疲れ、喉の渇きを覚えて、一人、井戸のそばに座っておられました。そこに、サマリアの女性が人目を避けて水を汲みに来ました。「水を飲ませてください。」主イエスは、こうして彼女に語りかけ、彼女の隣人となられます。
確かに彼女も、礼拝を誇りとする信仰者でした。しかし、その礼拝には、魂を真に潤す「生きた水」が欠けていたのです。なぜなら、「生きた水」とは、イエスを信じ、イエスをとおして神を礼拝することだからです。
彼女は、「わたしを信じなさい」と招かれたイエスの内に、約束の救い主を認めました。その瞬間、水がめを置いたまま町に戻り、人びとに主イエスのことを語り始めました。それはまるで、主イエスが、タブーであった男性から女性へ、ユダヤ人からサマリア人へという隔てを、軽々と乗り越えてしまわれたかのようにです。
律法学者でもなく、男性でもなく、罪深いと見なされていた彼女の証言によって、サマリアの人びとはこぞって主イエスのもとに招かれ、イエスを救い主と信じるに至りました。
真の礼拝をする人とは、主イエスを通して神を礼拝する人です。教会が礼拝に生きるとき、その恵みは、教会の内にとどまらず、本人はもとより、地域社会をも潤し、変えてゆく泉となって湧き出します。
【祈り】
主イエスよ、御国の進展のために、わたしをあなたの泉としてください。









