エレミヤ16章 神は私たちのすべての罪をご覧になって
わたしの目は、彼らのすべての道に注がれている。彼らはわたしの前から身を隠すこともできず、その悪をわたしの目から隠すこともできない。(エレミヤ16:17)
神はエレミヤに、結婚すること、葬儀へ参加すること、宴会へ列席することの三つを禁じられました(1〜8節)。つまり、喜ぶことも、悲しむことも禁止されたのです。それは、これから訪れるイスラエルの破滅と、その破滅による虚しい世界を体現するためです。このように、預言者には、言葉だけでなく預言者自身の行為や生活を通しても、神の御旨を示すよう求められることがありました。
民は、迫り来る裁きに際して、神から身を隠すことがかないません。彼らは自分たちの罪深さには目をつぶっていましたが、彼らの罪は神の目から隠されていなかったのです。
すべてをご覧になる神は、罪を見逃されることがありません。どれほど上手に隠したつもりでも、神が騙されることはありません。人の目に見えなくても、神の目には見えているからです。まずは、神がわたしの罪を知っておられる、と認識することが悔い改めの第一歩でしょう。
神は、私たちの罪を知った上で、イエス・キリストにすべてを負わせられました。主イエスが十字架にかけられたのは、神が私たちの罪を見ておられたからです。罪を負ってくださったイエス・キリストの贖いに身を委ねるとき、喜びと活力の伴った新しい命の生活が訪れます。
【祈り】 神よ、わたしを新しい命に生きる喜びで満たし、福音を体現する者とならせてください。
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