からし種のたとえとパン種のたとえに共通することは、その開始が取るに足らないものであっても、やがて想像もできないほど大きく成長することです。神の国もこれと同じで、初めから仰々しく臨んだということではなく、むしろ隠された姿で到来しました。畑に隠された宝や良い真珠のたとえでも、同じことが語られています。人目にははっきりとは分からない。多くの人は気づかず、その上を歩き、素通りしているということです。しかし、多くの人が知らないでいるからと言って、それがそこにあるのかないのか、不確かであるということにはなりません。畑の中に確かに宝があるように、神の国も現実にこの世にある。主イエスの到来と共に来ているのです。これが第一に重要な事実です。「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(マタイ13:44)