イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハネ9:39)
主イエスは39節で言われます。「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」。
愛の神がおられること、この神が私たちを救うために主イエスを世に遣わされたことを知るならば、世界の見方が変わります。神を正しく知ることは、私たち自身を正しく知ることにつながるのです。日本キリスト改革派教会創立宣言は、これを「有神的人生観・世界観」と言い表しました(1946年4月)。
主イエスは生まれつき目の見えない人の目に、唾でこねた土を塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言われました。彼は主イエスの言われたとおりにしました。この人は見えるようになり、主イエスに出会います。そして、「主よ、信じます」と信仰を告白しました。
主イエスに敵対するファリサイ派の人びとは彼を呼び出し、主イエスを否定するよう迫りました。しかし、彼は断固として応じません。この人は、主イエスによって肉の目だけでなく、霊の目も開かれたのです。
神はおられず、世を愛しておられない、救い主を遣わすこともない、と信じる人は、真実の世界を見ていません。神の愛に背を向ける罪は裁かれます。しかし、主イエスは私たちの霊の目を開いてくださいます。
【祈り】 見えると言い張る者ではなく、真実にこの世界が見える者としてください。
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