人間を豊かにするのは主の祝福である。
人間が苦労しても何も加えることはできない。(箴言10:22)
人が豊かにされるのは主の祝福によっている。この事実を箴言は単純に述べます。人は自分の幸いを求めますが、主に求めずにいてはまことの幸いも祝福もありません。「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」のです(詩127編1節)。
主が人を豊かに富ませ、祝福されることもあります(創24章35節)。けれども、それはその人が信仰によって主とつながっていることの現れなのです。まず神ご自身を求めることが何より大事です。神を求めず、富を求めて裕福になったとしても、その富は「人生の半ばで消え失せるのです」(ヤコブ1章11節)。
人の命は財産によってどうすることもできませんが、主の祝福は人を本当に豊かにすることができます。ことに、私たちにとって最大の祝福は、まことの神が自分の神となってくださり、救い主イエス・キリストによって永遠の命をくださったことです。
私たちは今日もこの主の日に、救い主イエス・キリストの御名のもとに神を礼拝します。礼拝にあずかれるということは、主の祝福の目に見える最高の現れです。このまことの祝福に、それ以上、人間が加えられるものなどありません。
【祈り】 主よ、私たちを祝福し、本当の豊かさをいただいて生涯歩んでいけるようにしてください。
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