主イエスは、病気によって死んでしまった愛する友ラザロをたずね、彼を墓から呼び出して甦らせます。そういう意味ではラザロの死ということが一貫して物語の軸になっています。しかしここで主イエスが一番問題にされていることは、ラザロの死ではありません。むしろ本当の問題は、マルタの死であり、マリアの死であり、弟子たちの、そして私たちの死であります。それは肉体の死のことではありません。マルタもマリアも私たちも生きているのです。でも主イエスは、その私たちの死を、ここでは一番の問題にしておられます。それは死で終わるという現実を前にしての希望なき生の問題です。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)