月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年6月21日(日)

マタイ9章35節-10章8節 収穫は多い、働き手を

  

「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:37-38)

 「収穫は多い」と主イエスが言われたとき、弟子たちの目にも、そのように見えたでしょう。多くの人びとが主に期待をかけて、集まっていました。しかし、主が十字架に引き渡されたとき、収穫は失われた、と思ったのではないでしょうか。収穫の主に願うべき必要など、まったく覚えなかったことと思います。

 しかし、信仰によって見るべき事実があります。「(一粒の麦が)死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハ12章24節)。キリストが来られたとき以来、種はまかれ、成し遂げられるべきことが成し遂げられました。人の心は、道端、石地、いばらの地のように受け止めているとしても、「収穫は多い」。信仰によって確信すべき希望があります。

 「働き手が少ない」。これも同様です。働き手が満たされることはありません。収穫が多いからです。

 さらに、主イエスは、弟子たちに収穫の主に祈るように求めました。この祈りも、願い続けられるべきものです。そして、その祈りの答えは、12人の使徒たちでした。同様に、収穫は多いと見て、祈り続ける者たち自身の中に答えが与えられます。

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