月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年3月 2日(月)

ルカ15章11-32節 神の喜びを共にする

  

「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカ15:32)

 父から受け継いだ財産を使い果たした弟が帰宅しました。彼は役立たずを通り越して厄介者です。そのような弟の帰宅を、父は常識外れなほどに喜びます。弟にしてみれば、想定外のもてなしによって父に迎え入れられました。父は兄の帰宅を待たず祝宴を始めました。

 怒ったのが兄です。なだめるために出てきた父に、兄は不平を言います。弟が父から受けているもてなしは、兄が長年父から受けたいと望んでいたものだったのです。それを受けるために、兄は何年も父に仕えました。しかし、自らが望み続けたもてなしを、財産を使い果たして突然帰ってきた厄介者の弟が受けています。そのために兄は、弟の帰宅を父と共に喜ぶことができなかったのです。

 もし、自らの望みが叶うことのみを期待して神に仕えるならば、兄のように神に不平をもらしながら、喜びの少ない歩みをすることになるでしょう。自分自身の望みが叶うことによって喜びを得ようとするのではなく、神の喜びを共にするように私たちは招かれています。こうして、私たちに真の喜びが与えられるのです。

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