月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年1月 5日(日)

マタイ3章13-17節 主イエス、洗礼を受ける

  

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マタイ3:16-17)

 あなたは洗礼を受けた時のことを覚えているでしょうか。水の滴りとともに、罪の赦された喜びのこみ上げてきたあの日のことです。

 主イエスも洗礼をお受けになりました。主イエスは固辞する洗礼者ヨハネを、「今は、止めないでほしい」と説き伏せて、ヨルダン川に身を沈められました。このようにして、神の御子である主イエスが、罪がないのにもかかわらず、罪の清めを必要とする私たちと同じ位置に立ってくださったのです。

 主イエスが水から上がられると天が開き、霊が鳩のように降ってきました。そして、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が響きました。

 主イエスが踏み出していかれるのは十字架への道です。主イエスが十字架で流された血が、私たちの罪を償います。洗礼は主イエスの血にもとづく私たちの罪の清めです。それは、私たちが水で身体の汚れを流すのと同じ確かさで、私たちの罪を清めます。

 ですから、神は洗礼を受けた私たちにも、「あなたはわたしの愛する子」と言ってくださるのです。神の子とされた恵みに感謝します。

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