本来、私たち人間は、神の像に造られ、その命の息を吹き入れられた、神のものです。しかし、神に背を向けて、神共にいます喜びを捨てて、滅びの方向に歩んでしまいました。いるべきところを見失ったのは、神ではなく人間の方です。しかし、失われることを諦めきれない熱情の神は、私たちを「念を入れて捜」すほどに立ち帰ることを渇望されています(8節)。その失われた者を救おうとされる熱意ゆえに、ついに御子イエス・キリストをこの世に遣わされることとなったのです。「言っておくが、このように悔い改める1人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(ルカ15:7)