月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年8月12日(月)

ヨハネ1章1-18節 満ちている神

  

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。…わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ1:14,16)

 キリスト者の立場で平和について考えるとき、「シャローム」という言葉を避けて通ることはできません。シャロームを単に平安ないし平和と直訳して良しとするのではなく、言葉の根本精神を尋ねたいのです。そのために、ヨハネによる福音書の短い言葉に目を留めます。これは主イエスから「平和があるように」という言葉を聞いた人たちの証言です(ヨハ20章19節)。

 言であるお方が肉となった、すなわち人となって、私たちの間に宿られた、これがすべての土台です。そこで、特に注目したいのは、著者の「受けた」という言葉です。「わたしたちは…恵みの上に、更に恵みを受けた」のです。

 次に、二度も繰り返して「満ちる」という言葉が用いられています。恵みと真理に満ちているお方から、その満ちあふれる豊かさの中から、恵みを受け取ることで、彼らは満ちあふれるほど豊かなものになりました。

 私たちがシャロームを考える土台も同じです。私たちが満ちている方と共にあるとき、私たちも満ちたりた欠けのないものとなります。そこに本当の平和であるシャロームが実現します。

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