月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年5月17日(金)

詩編50編 形式ではなく心から

「告白を神へのいけにえとしてささげ
いと高き神に満願の献げ物をせよ。
それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。
そのことによって
お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」(詩編50:14-15)

 49編は知恵文学のようでしたが、50編は「説教」を思わせる雰囲気を持っています。詩編は賛美であると同時に、祈りであったり、教訓であったり、説教であったりして、神殿に来る人を教える役割を持っていました。

 神が責めておられるのは、形式的に犠牲を献げ、表向きは敬虔であるように見えるのですが、実態がそうではない人です。特に17節以下で、神の民に本来あってはならない行動が数えあげられます。

 それは心の奥底で、神の諭しや神の言葉、つまり律法を憎んでいることです。道徳的にいい加減な者と大いに語り、盛り上がります。盗みや姦淫に加わって行くのです。発する言葉は罪を責められないように気をつけながら、しかし、実のところでは罪を楽しんでいる姿です。それらは、真実には、神に知られています。

 神への告白は口に出すだけではなく、心からなされるものでなければなりません。また神に対する心からの感謝が必要なのです。そうしてなされることを、神は喜んでくださるのです。「わたしは神の救いを示そう」(23節)。

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