月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年12月18日(火)

民数記5-6章 罪が取り除かれる

主はモーセに仰せになった。
イスラエルの人々に命じて、重い皮膚病にかかっている者、漏出のある者、死体に触れて汚れた者をことごとく宿営の外に出しなさい。男女とも、必ず宿営から出しなさい。わたしがそのただ中に住んでいる宿営を汚してはならない。(民数記5:1-3)

 主なる神は、具体的に目に見える仕方でご自分の民を教育されました。幕屋と宿営の配置は神の民の中心に神がおられることを教えます。「けがれ」ということも、そのような教育方法の一つだったのかもしれません。

 感染症の可能性がある者を宿営から出すことが命じられました。衛生観念が未発達な中で、主はご自身の民を病気から守ろうとされたのでしょう。そしてそれ以上に、けがれは罪を指し示していて、主が罪を嫌うお方であることが教えられています。主がただ中に住まわれるゆえ、その民から罪(けがれ)は取り除かれるべきなのです。

 これは、神のものとされた私たちが罪を取り除かれて生かされることを意味します。律法は、けがれからの回復の道筋をていねいに記しています(レビ13章以下、民19章等)。それは、罪が取り除かれることにこそ、神の救いが現れるからです。

 今や、真実に罪が取り除かれるために十字架のキリストが与えられました。なお罪の残りかすに苦しむ私たちですが、キリストがただ中に住まわれるゆえに、神の聖なる民であるとは、真理です。

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