パウロは主イエスを伝えることによって、暴動を起こされ、襲われた経験がありました(使17章3〜5節)。私たちがその時と同じような暴動による迫害を受けることはほとんどないかもしれません。けれども、主イエスを伝えることや教会に集うことをやめさせようとする静かな迫害の中にいるのではないでしょうか。家族の中で、職場の同僚たちの中で、学校の友人たちの中で、たびたび恐れおののいてしまいます。信仰を示したいと願いつつも「難しい」と苦しみます。それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。…あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。(2テサロニケ1:4-5)