老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。(1テモテ5:1-2)
互いに赦し合うことは大切です。けれども、誰かの過ちに気づいたときに、それを放っておくことはよくありません。その人のためにならないばかりか、神の栄光が汚されることになりかねません。過ちに気づいたら、尊敬と愛をもって諭しましょう。
難しいことかもしれません。放っておくほうが楽だと思うかもしれません。けれども、過ちを犯したその人が、自分の罪に気づき、神に立ち帰るために、あなたの存在が必要とされているのです。
諭すときに大切にしたいことがあります。自分も神の御前に等しく罪人であることを常に心に留めるのです。決して裁くのではありません。祈りをもって備えて、罪の赦しを求めて共に神の御前に立ち、共に神の諭しを聞く姿勢で、言葉を届けましょう。主の聖霊が働いて、あなたの思いがきっとその人にも理解されるでしょう。
あなたが過ちを犯したとき、今度はその人が尊敬と愛をもって諭してくださるかもしれません。あなたにとってもそのような存在が必要です。尊敬と愛をもって互いに諭し合う、健やかな人間関係を祈り求めましょう。
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