月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年4月21日(土)

創世記45章 苦難の意味

「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」(創世記45:7-8)

 ユダと兄弟たちが罪を告白したことによって、ヨセフの閉じた心が開かれます。彼はとうとう耐えきれなくなって、自分の正体を明かします。宮廷全体に響き渡るほどの声をあげて泣き出します。そして、ヨセフの口から、これまでのすべてのことの意味を解き明かす、信仰の言葉が語られます。「神が、このことに働いておられた。神が救いの御業のためにこのことをなさったのだ」と。

 ヨセフが穴に落とされてから22年の時が過ぎています。神の時計はゆっくり時を刻みます。ある神学者は、「神学は世紀単位で考える」と言っています。私たちは何でもすぐに解決をしたくなります。しかし、神は多くの場合、ゆっくりとご自身の御心を実現していかれます。

 私たちの身の周りにも、「なぜこんなことが」と思うようなことが起こることがあります。苦難は苦難そのものの苦しみだけではなく、苦難を与えられた意味がわからないということにこそあります。その意味は、すぐには明らかにされません。けれども、やがて神の時の中で、そのことが解き明かされる日が来ます。

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