月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年2月7日(水)

マルコ13章 目を覚ましていなさい

「だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、…あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。…目を覚ましていなさい。」(マルコ13:35-37)

 主イエスは世の終わりについて語られた最後に、それがいつ来るかは誰にも分からないので、「だから、目を覚ましていなさい」と語られます。いつ何時、主がおいでになっても良い備えをもって日々を生きるように、と。それがここで教えられている大切なことです。

 旅に出た主人がいつ帰ってくるか、それは僕たちにとって予測がつかないことでした。帰りが真夜中か、それとも朝になるかもしれない。しかし、いつ主人が帰ってきてもすぐに給仕できるように、僕たちは用意をしているようにと言われます。また、まだ帰ってこないと思って支度もせずに眠りこけることがないように「目を覚ましていなさい」とも勧められます。

 主はいつ来られるか分からない、その主がいつおいでになってもよいように備えをしていることが大切です。

 主がおいでになること。それを必ずしも世の終わりの出来事と考える必要はありません。わたし自身の終わりがいつ閉じられるか分からないからです。自分の死と向き合って生きる、それが主のおいでになることを待つ生き方でもあります。自分の死の備えをする歩みです。

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