月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年1月11日(木)

創世記11章 分断を越えるために

主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。(創世記11:8-9)

 互いに理解しあえないという悲しみ…。たとえ同じ言葉を使っていても、バラバラな主義・主張がぶつかるばかりで、話が通じない。この21世紀という時代は、そういう「分断」の悲しさを、ことのほか強く思わされます。そういう争いと混乱は、このバベルの塔の出来事以前にはなかったのでしょうか。

 それ以前は、人間は一つの言葉を話していました。しかし、「神などもはや必要ない」という自信と傲慢においてひとつになった人間の一致団結は、どれだけ高い塔を作ることができても、やがては必ず滅びにいたります。高ぶった者同士は、互いに競いつぶしあいます。全体主義の愚かさということも思い出してください。

 人間のあるべき一致は、神の御心における一致です。おごり高ぶったバベルの人びととは対照的に、主イエスは、へりくだりの道を歩まれました。この主に従い、主にならうのです。神の御前で真に砕かれ、悔い改めた者たちだけが互いに尊敬し合うことができます。真の一致と平和は、そこからしか生まれません。

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