月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年12月25日(月)

詩編103編 主は私たちを憐れんでくださる

主はわたしたちを
どのように造るべきか知っておられた。
わたしたちが塵にすぎないことを
御心に留めておられる。(詩編103:14)

 主は私たちの弱さとはかなさをよくご存じです。主がそのように私たちを知っておられるのは、主が人間を土の塵から創造されたからです。そして主は私たちが塵にすぎない者であることをお忘れになりません。

 では主が私たちの成りたちを覚えておられることに意味があるのでしょうか。それを解く鍵は、14節の文頭にある「なぜなら」という語です。日本語訳聖書ではそれが省略されています。12節と13節では、主が私たちの背きの罪を赦してくださること、父がその子を憐れむように私たちを憐れんでくださることが語られています。そして14節は私たちに対する神の憐れみの理由を語っています。それは私たちが塵にすぎない者であることを主が覚えておられることです。

 私たちは日常生活の中でしばしば自分が塵にすぎない者であることを実感します。そしてその弱さやはかなさに意味はないと考えてしまいます。あるいは、空しさを覚えます。

 しかし主は、塵にすぎないことを御心に留めて、憐れんでくださいます。私たちは、塵に過ぎないという自覚から、主の恵みを見上げます。

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